荒川区と足立区の境界だった!隅田川に架かる南千住の「千住大橋」

ある日、いつものように買い物に出かけると、あることに気付きました。

「あれ?もしかして知らない間に荒川区と足立区を行ったり来たりしているのでは?」

荒川区と足立区を隔てる橋の一つ、千住大橋。調べてみると、いろいろな発見がありました。

千住大橋の歴史

千住大橋を通るのは、国道4号。橋は道路のほかに自転車用と歩行者用の道に区切られていて、たくさんの人々や車が行き交います。

私も買い物やお散歩の際に、よく通る橋です。

てっきり、足立区だと思っていましたが「あらかわの史跡・文化財」の看板を見て、荒川区だということに気付きました。

しかし、グーグルマップをよくよく見ると、荒川区と足立区は隅田川で区切られていて橋を渡ると足立区なんです。

ということは、橋の半分は荒川区、もう半分は足立区ということになります。ちなみに北側は足立区千住橋戸町、南側は荒川区南千住六丁目です。

千住大橋の歴史をさかのぼると、江戸時代に徳川家康によって架けられ、文禄3年(1594年)に完成したそう。

約400年以上の歴史ある橋だと知り、おどろきました。

最初は「大橋」と呼ばれていましたが、後に両国橋が建設され区別するために「千住大橋」という名前になったんだとか。

橋の真ん中をみると「大橋」と刻まれた看板があり、その名残りを感じますね。

千住大橋は何度も改架、改修が行われていますが、最初の架橋から明治18年(1885年)の台風による洪水まで、なんと一度も流失がありませんでした。

そのため、江戸時代を生き抜いた名橋といわれています。

その後、関東大震災後の震災復興事業の一つとして、昭和2年(1927年)に現在の鉄橋が架けられたそうです。橋には「昭和2年12月竣工」の文字が刻まれていました。

千住大橋にまつわる文化

千住大橋は江戸時代の俳人、松尾芭蕉が紀行文「奥の細道」で旅立った地としても有名です。橋からは、その様子が描かれた壁画が見えました。

この味わいのある壁画と、橋と並走する鉄骨のコントラストがおもしろい。これがギャップ萌えというやつでしょうか。

また江戸時代の浮世絵師、葛飾北斎は代表作である『冨嶽三十六景』において「武州千住」「隅田川関屋の里」「従千住花街眺望ノ不二」の3作品を、千住地域をテーマにしています。

その葛飾北斎のライバルであったとされている、歌川広重の「名所江戸百景」にも『千住の大はし』という作品があり、千住大橋を行き交う江戸の人々の姿が描かれています。

今の風景とはだいぶ異なるでしょうが、先人たちがほぼ同じ場所にいたことを思うと不思議な感覚になりますね。

彼らの眼にはどんな景色が広がっていたのでしょうか。

隅田川が魅せる異なる表情

隅田川に架かる千住大橋を眺めながら、ぼんやりしているとジョギングする人や犬の散歩をする人など、いろいろな人が川沿いを行ったり来たりしている姿が見られました。

先人たちに限らず、その人たちそれぞれにストーリーがあって、見えている景色も違うのでしょう。

日が暮れると、隅田川には千住大橋や隣接するマンションの光が照らし出され、また異なる表情を見せてくれます。

水面にゆらゆらと揺れる光はとてもきれい。

いつも何気なく通っていた場所も、調べてみるといろいろな発見があることに気付かされました。
みなさんが、普段通っている場所も実は深い歴史が……なんてこともあるかもしれませんよ。

千住大橋
住所:東京都荒川区南千住六丁目付近
アクセス:東京メトロ日比谷線「南千住駅」から徒歩約13分
都電荒川線「三ノ輪橋駅」から徒歩約15分

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