江戸時代から愛されてきた!俳句にも登場する根岸「御行の松不動尊」

何げなく通っているいつもの道。そこに新しい発見があったとき胸が高まりませんか?

私は、まさしくその体験をしました。
いつもは通り過ぎていたお寺の前でふと「このお寺の名前って何だろう」と思い確認すると、御行(おぎょう)の松不動尊と書いてありました。どうやら境内にある立派な松が御行の松のようです。

歴史を調べてみると、とても有名な松だったことがわかったので、さっそく紹介していきます♪

江戸時代から親しまれてきた!御行の松

御行の松不動尊は鶯谷駅から徒歩10分ほど歩いた住宅街にあります。目の前の通りは御行の松通りと名付けられています。恥ずかしながら、通りの名前がお寺に由来していたことを今まで知りませんでした。

境内に入り、本堂に参拝。お賽銭を入れ、鐘を鳴らすとゴーンという低い音が響き渡り、おごそかな雰囲気に包まれます。手を合わせ日頃の感謝とお願い事を伝えました。

境内をぐるりと見渡すと、立派な松が2本あります。

写真の右側から三代目の松、初代松の祠、左側が四代目の松です。
江戸時代からあった樹齢約350年の初代御行の松は、根岸の大松として人々に親しまれてきたそう。時代とともに松は老衰してしまいましたが、今でもその一部が祀られています。

境内には江戸以前から現在にいたるまでの御行の松の歴史が地図や写真とともにまとめられた冊子が置かれていました。
戦前の様子や第二次世界大戦からの復興の様子なども詳しく記されており、御行の松が昔から地域の人々に大切に扱われてきたことがわかります。

正岡子規の俳句にも詠まれている御行の松

境内では、かつての御行の松の写真を見ることができました。

初代御行の松は境内を覆うほど大きく立派だったことがうかがえますね。遠くからでもその姿を見られたに違いありません!

御行の松のすぐそばには、正岡子規の歌碑がありました。
正岡子規といえば、丸坊主に横顔が印象的な写真を思い浮かべる人も多いでしょう。教科書にも載るほど、有名な俳人ですよね。

実は正岡子規は亡くなるまでの数年間、台東区根岸で暮らしていました。歌碑には正岡子規が御行の松のことを詠んだ『薄緑 御行の松は 霞みけり』という句が彫られています。
正岡子規の眼にはこの大きな御行の松がどのように映ったのでしょうか。

風景は変わってしまったかもしれませんが、時が経って歴史的な人物と同じ場所にいるなんて感慨深いです。
歴史とともに、過去の風景に思いをはせてみるのもいいですね♪

かわいいタヌキの石像!落語に登場する狸塚

私が御行の松不動尊を訪れた日はとても天気がよく、絶好の観光日和。
外国人観光客の姿も見かけられました。何かを熱心に写真を撮っていたので不思議に思い近付いてみると…、なんとかわいらしいタヌキの石像です!

石碑には狸塚とあります。調べてみると、落語に登場していた架空の塚を地域の有志の方々がジョークで作ったのだとか。
石像が先にあったのではなく、落語が先なんてなかなか面白いですよね!

狸塚が登場する落語の内容は、ぜひ調べてみてください♪
私は落語には詳しくないのですが、興味深いストーリーでしたよ。これをきっかけに落語も生で聞いてみたいなあと思いました。

御行の松は、ほかにも歌川広重の錦絵や樋口一葉の作品に登場しています。いかに有名な松だったかがわかりますね。

今回、御行の松不動尊を訪れると今まで知らなかった歴史や文化を知ることができました。
みなさんの近くにも、あっと驚くような歴史が眠っている場所があるかもしれませんよ。

地域の方々に昔から愛されてきた御行の松不動尊。ぜひ立ち寄ってみてくださいね♪

御行の松不動尊
住所:東京都台東区根岸4丁目9-5
アクセス:東京メトロ日比谷線「入谷駅」から徒歩8分
     JR山手線「鶯谷駅」から徒歩9分

※記載情報は取材当時のものです。変更している場合もありますので、ご利用前に公式サイト等でご確認ください。